YOGA INCLUSIVEについて

※INCLUSIVE=包む、包括、全てを含んだ等の意

◉由来

私のヨガに関わる学びや活動を総称するものとして、このHPのタイトルでもある、"YOGA INCLUSIVE"という言葉を使っています。

どんな願いを込めて、どんな思想が基になり、何故この単語にしたかというのは、コラムとして書いていたりもするのですが、そもそもこのINCLUSIVEという言葉は、

ヨガ云々の前に、福祉や教育の世界で使われている"INCLUSIVE(又はINCLUSION)"の概念が元になっており、そこからの繋がりで持ってきた言葉でもあります。

福祉や教育関係の方はもちろん、そうでない方も、もしかしたらどこかで、「Social inclusion」とか「Inclusive教育」なんて言葉を聞いた事がある方もいらっしゃるかもしれません。

簡単にその2つの概念について書きますと、
まず「Social inclusion」とは・・

"全ての人々を排除する事なく、孤独や孤立から守りながら、同じ社会を生きる仲間として包み支え合っていく事"

そして「Inclusive教育」とは・・
"すべての子ども達が、障がい等の有無に関わらず、個々の教育的ニーズに応じた配慮を受けながら、共に学んでいく事が出来る"

というのが大まかな概念となり、この概念が先にあった上で、そこに私の中の、ヨガのイメージ(=密教的世界観:済生利民、共利群生・・etc)や、ヨガを通して目指したいもの、または目指せる可能性があるものが上手くマッチした時にこの"YOGA INCLUSIVE"というタイトルが生まれました。

更にそもそもを遡り、何故私の中に、福祉や教育で使われる「INCLUSIVE」の概念が頭にあったかというと、私自身がヨガの前に、教育と福祉の2つを学んだできたというのが第一にあります。 

自分の事を、ほんの少しだけ書くと、私は、大学では幼児教育を専門に学んでいました。卒業した後も保育士として仕事をしていた事があるのですが、そこは保育園とは違い、24時間そこで子ども達が暮らす入所の施設だったので、一人一人の子ども達が施設で暮らしている背景にも、多様な社会問題が縮図のように詰まった形で、複雑な事情が沢山ありました。

将来的に子ども達への直接処遇にとどまらず、よりトータル的に幅を広げて支援していくには、大学で学んだものだけでは、やはり不十分だと感じていましたし、保育士の資格も福祉資格ですので、福祉についても全く勉強していなかった訳ではないのですが、一度改めてそこに特化をした上で、しっかり学びたいと考えていました。そこで、仕事をしながら専門学校の通信課程に入って勉強を始めて、その時に学びを修めた一つの形として、社会福祉士という資格を取得したという経緯があります(ソーシャルワーカーとしてお仕事されている方が多い資格です)。

紆余曲折あり、今の自分は、福祉の分野でも、教育の分野でも、仕事をしているわけではないので、ここであまり福祉とは何か、教育とは何かと詳しく論ずる事は出来ないのですが、せっかく志を持って、その時の自分が一生懸命学んだものになるので、どこかで、これら過去の学びに繋がる形で、新しいヨガという学びもそこに加えていきたいという気持ちが内側にはあります。

またヨガの実践には、結果や見返りに執着せず、真理に沿った正しい行いを重ねていく事を、福祉や奉仕を一つの形に、"カルマヨガ"と教えを説いた実践もあれば、私がヨガを学んだ町田市にある"リシケシ ヨガシャラ"というスタジオも、インドのアシュラム(ヨガを学ぶ福祉施設)をコンセプトにしており、母体としてヒールジアースというNPO法人が運営しています。(法人が公式で運営しているものにはyoga societyというサークル団体もあるので、ご興味がある方は一度サイトを訪れてみて下さい。)

因みに、"ヨガで悟りを実現する"というインドの教えは、元々日本では、"ヨガで福祉を実現する"という事で、受け入れられていた側面があるのはご存知ですか?

密教とは何か、悟りとは何かを衆生に分かりやすく説いていく為に、"福"とか"祉"という言葉が歴史的な文書でも使われていて、歴史的に紐解いてみても、ちゃんと、ヨガ(密教)は福祉であるという事が裏付け出来るんです。

簡単に書くと、福と祉の2つの言葉には、元々の漢字の意味で、"幸せ"という意味があるらしく、悟り=本当の幸せ=慈悲の実践=福祉、のようなイメージで捉えられていたんですね。

日本にヨガの教え(密教)を伝えたとされる、空海は、綜芸種智院という学校を建てて、教育事業にも尽力をしていたし、また、これは私が個人的に思う事としても、ヨガの教えは子ども達にとっても、純粋に教材としての価値が凄くあるなと感じています。

例えば、子ども達に馴染みのある生き物のアーサナ等から入って、遊び感覚を残した中で、ヨガの思想や哲学からの生きる上での大切な智慧等を、分かりやすく楽しく伝えていく事が工夫次第では可能なのです。

私はよく、名前とか数字とかに何か意味を持たせたがるタイプの人間なので、何かのネーミング等を考える時も、安易にすんなりいつも決められなくて、考え込んでしまう事も多いのですが、これら要素を考えてみただけでも、まさにヨガそのものが、実はそのまま福祉であり、そして教育であったりもして、自分の中でも何の違和感を感じる事なくヨガ×教育×福祉を結びつける事が出来、上手く3つのバランスが取れた中で、すんなりとINCLUSIVEという単語をYOGAの隣に収める事が出来ました。

インターネットでキーワード検索をしても、他にこの名称で活動しているヨガティーチャーや、スタジオもありませんでしたし、個人的には独自性もあって凄く気に入っている名前でもあり、今後、どういう形でヨガを続けていくかは分かりませんが、この"INCLUSIVE"の精神は変わるものではありません。

また、ヨガと教育と福祉を3つ結びつけて考えたもう一つの理由は、もちろん世の為人の為という、それなりな立派な名目もありますが、それよりかは、ヨガという学びに出会えた事で、過去の自分から、今の自分までの時間が上手く繋ぎ合わさって、これまで自分が過ごしできた過去の時間への否定的な感情に対し、少し寛容になる事が出来るのではないかという、自分の為という目的もあります。

よく皆さん"過去は変えられない!後ろを振り向かない!未来を見据えて!今出来る事に集中して!"と言いますが、私は過去は変えられると思っています。

今の自分に集中するしかない事は事実であるけれど、今の自分が過去をどう捉えられるかで、過去の嫌な思い出や、辛い事も、それはいかようにも変わっていくし、例えば、よくスポーツ選手が怪我をして復活したあとのインタビューで、"あの怪我があったから更に成長出来た"と言いますが、怪我をしても復活すれば、怪我をしたというマイナスな過去の出来事も、プラスの過去の出来事に転換されます。

だから私は、未来の為にというのも勿論ありますが、"過去の〜があったから今の良好な自分がある"というような、過去をプラスに捉えられるストーリーになるように、過去の自分の為にも今を生きるという感覚も常に持ち合わせています。

時間の流れは、過去→現在→未来の流れなわけですから、過去の捉え方が変われば、矢印の流れに沿って自ずと、未来まで繋がるというのが私の認識です。

ただしあるべきポイントは常に中心である現在でなければなりません。未来も過去も同じように見据えながら、そこに揺れるのではなく、あくまでも、軸は今ここに置きます(これが一番大切です!)。

ヨガがクビキとなり、今の自分と、過去の自分の何かが一つでも繋がれば、更にそこからもっともっと遡っていき、バラバラと断片的で虚ろになっている自分の中の色々なものが、数珠繋ぎのように繋がってくるのではないかと淡い期待をしております。

今はまだ、正直そんな大そうな理念を掲げられる程、人としての成熟はまだないし、欲やエゴや見栄など、あらゆる煩悩に心はいつも揺れ、実際名前負けをしているような所もあるので、私がYOGAで目指す、INCLUSIVEには何も向かう事は出来ていない状況なのですが、それでも最後までロウソクの灯火だけは消さずに残しておくつもりです。

もしこのHPを見た方で、例えばヨガをしたいけどスタジオには行きづらい、若しくは何らかの事情で行けないという方、それ以外にも何となくでも、まずヨガに興味のあるという方がいましたら、相談としてでも、簡単な問い合わせでも結構ですので、私のメールアドレス(yogainclusive20@gmail.com)にご連絡下さって結構です。

ヨガを通し私に出来る事があれば、お力になっていきたいと考えていますし、例え私に出来なかったとしても、まるで"ヨガソーシャルワーカー"のようになって、リシケシヨガシャラ含め何かコミュニティの中でお役に立つ資源を、皆様にご紹介出来るかもしれません。

◉ヨガの楽しみ方

ヨガをしたら、これが良くなり、こんな効果があるというのは、いくつかの研究結果や科学的根拠もありますが、ヨガの精神的な世界観は、非科学的な部分も正直多く、そこに絶対という言葉を持って、断言の出来ない事も沢山あります。

もちろんヨガをしていて、身体や心で感じる癒しの部分や、健康面での効果の実感はいつも感じているのですが、それは別にヨガでなくてもいいし、現代の科学の力に頼ればむしろヨガよりも効果的な事も沢山あるかもしれません。

では何故ヨガなのだろうか、何故私はヨガが好きなのだろうかと、ずっと違和感のような物を感じながら、自分に問うていたのですが、ある時、この違和感こそに、実はヨガの魅力が沢山詰まっているのではという、新たな気付きが私に訪れました。

1+1が2になるような、決まった方程式の枠組みの中で、単純に数を重ねていくものとは違い、曖昧で不確かで、それでいてちょっと怪しい嘘臭い言葉が出て来たり、ヨガをやる時、頭の中はいつも色々なイメージや想像、自問自答が渦の様に溢れているのですが、必ずその後には、絡んだ糸が一つにスーっとほどけるように、「あぁそういう事なんだ」という気付きが生まれます。

それは、自分でも予期せぬ、新たな自分を発見する手助けとなる事もあれば、一周まわって、またそこに戻ってくるように、その気付きにより、そこで自分という人間を改めて再確認する事も少なくありません。

因みにアーサナ(体位法)やプラーナヤーマ(呼吸法及び、生命エネルギーの拡張)も、本来そんな自分自身(本質としての自分)との対話(繋がり)の為のツールとして存在しています。 

諸行無常。時や物事は常に流れ続けている以上、私達の体や心の状態は、昨日と今日、極端に言えば1秒単位でさえ全く同じという事はありません。同じアーサナ一つとっても、その日の体調や気分によって、体への感じ方は異なる中、その瞬間々々得られる気付きは無限に含まれており、そこで私達が感じる事の出来る小さな気付きの連続は、いずれ内側に潜在する、自分の本質へと向かう大きな気付きへと繋がっていくのです。

始めはこういった曖昧な感覚や表現が、迷いのような形で、不安をもたらし、意識のベクトルの先もバラバラと、統一を欠いたものになるかもしれませんが、何度も繰り返し実践とイメージを重ねる事で、コンパスの針が自然と北側へと導かれるように、あちこち向いた矢印の先が自然にクルリと自分の方に向いてくる、そんな感覚を自在に感じられるようになると思います。

また、人によってはそんな気づきを繋げ、イメージの世界を広げながら、アーサナを身体表現として楽しんだり、音を奏でたり、絵を描いたり、句を詠ったり、まるで芸術を楽しむような感覚で、より現代的にヨガを楽しむ事も出来るかと思います。

あるいは、もう少し気軽に、日々の体調管理の一環として、ストレッチやフィットネスの延長として、楽しみたい方もいるかもしれません。

そんな私自身も、身体を動かす事は大好きなので、もちろんフィットネス的にもヨガを楽しみますし、またアーサナ実践中の怪我のリスクや、八支則(ヨガの学びの八つの段階)の流れ、あるいは前述した心身一如の視点を踏まえてみても、やはり解剖学的アプローチによる身体感覚の統制をおざなりにして、その先の更に精妙な"心の制御"へと向かう事は、決して容易な事では無いでしょう。

最後に、ここまでつらつらと書き連ねては来ましたが、ヨガに関心がある方も無い方も、何か重要な目的を見つけた方も、そうで無い方も、ヨガを始めるのに、人に熱く語らなければならないような、特別な動機やきっかけは、決して必要ではありません。

何だかんだヨガで言っている事が全て正しいなんて事もありませんし、そこで強制されるものも、束縛されるものもなく、誰かと比べずに、自分のペースで自由に楽しむ事が出来る柔軟性こそ、またヨガの大きな魅力の一つであります。

実際、伝統式、現代式問わず、ヨガのジャンルは山ほど現存し、ヨガ=生きる事という大きなテーマ中では、自分が悩んでいたり、陥っているもの、または自分が好きなもの等、何でもいいから最後に「ヨガ」をつけて、"○○ヨガ"と名前をつければ、それはもう立派なその人にとってのオンリーワンヨガであって、それこそ自分の名付けた○○ヨガを通して、人生に無駄な事は無いという事を、自らの実感として得ていく事も可能となるでしょう。

そして、最後の最後に、メッセージとしてこの言葉を。

「YOGA is LIFE(生きる事)」
人の数だけ人生があれば、きっと人の数だけヨガも存在する!

まるで、さえずるような小さな鳥が、大きな羽根を広げて、優雅に空を舞うように、

まるで、1本の木が枝葉を自在に空へと伸ばし、幾多の花の姿を表現しているように、

私達一人一人が刻む、どんな小さな意志や選択も、全ては一如に繋がり(yuj)合う、この地球という大きな舞台の上で、かけがえない、唯一無二の"生命(ヨガ)のリズム"として躍動していくのです!

現状私自身のヨガの学びや活動を紹介するに留まってはおりますが、皆さんが、まるで太陽に向かい力強く幹を伸ばす、このホーム写真の向日葵のように、迷い無く、自信を持って、壮大なる"人生(ヨガ)"という名の音色を、縦横無尽に響かしていく事を心より願い、微力ながらではありますが、これからも、ヨガについての魅力を伝えていけたらと思っております。

ヒール・ジ・アース Heal the Earth

ヒール・ジ・アースは、特定非営利活動法人(NPO法人)として内閣府から正式に認証された組織です。 ヨガの普及を基盤として、国民の健康や福祉を増進する活動を目的とし、同時に日本国内だけではなく、発展途上国を中心とした国際協力の活動と発展を目指しています。 現在、当校ヨガ・ピラティス指導者養成コースの卒業生である講師の協力のもと、全国各地の地域市民、および青少年育成団体や一般企業、教育施設や医療施設、高齢者の福祉施設、障がい者の施設などにおいて、健康と福祉の充実を支援しています。 また、ヨガやピラティスを通じた健康増進の支援に留まらず、市民の皆様のご協力のもとに、ひとり親家庭やシニア家庭、さまざまな病気を抱えたご家庭を支援し、"思いやりと助け合い"に満ちた、温かい社会の実現を目指しています。 どのような社会環境にあっても、人が必要としているのは、誰もが一人の人間として敬われ、大切にされること。"自分さえよければいい"という利己主義で生きるのではなく、他者のことへも我がことのように温かい関心を寄せること。人は誰からも関心を寄せられず、孤独感に苛まれ、生きる価値を見出せなくなったとき、心身の健康を害し、最終的には生きる気力を失ってしまいます。 人生において、試練や苦難は決して避けることが出来ないものです。本当の社会支援は、金銭的な援助にすべてを頼るのではなく、一人一人の人間がこの世でかけがえのない、たった一人の人間として敬われ、大切にされること。特に、老いの悲しさや周囲からの無関心により、孤独感で笑顔を失くした方々に本当に必要なことは、なにか愛するものを持ち、愛されて生きることが必要です。それは、相手そして自分自身を心から、大切に思い、慈しむ心です。 ここに命ある限り、誰にも平等にやってくる死。老いの寂しさだけではなく、辛い逆境や試練の渦中にいるとき、"早く死んだほうが楽なのではないか。周りの迷惑にならないのではないか"と、自らの存在意義への自信を失いがちになったときにこそ、"生きがい"を持ち、また、相手を大切にする日々の行動の中で、相手にも"生きがい"を持たせて生きることほど、人を強くしてくれるものはありません。 病気や障がいを抱えた方、介護が必要な方ご自身だけではなく、その方々を支える周囲のご家族や医療従事者、介護支援者、また、子供たちを育成する教育機関に従事する方こそ

NPO法人ヒール・ジ・アース