"だからこそ"
どこを、どこから見たって、もうすっかり色は移ろい始めているし、また、それらが彩りよく、映えても見えてくる。
何周したって、いつもいつも同じ事。
どうして、分かる人は、
分かる事が出来るのだろう?
どうして、見つけられる人は、
見つける事が出来るのだろう?
そして、どうしたら受け入れる事って出来るのだろうか?
そんな迷いの中で、視界に入る、あれやこれやの扉は、確かに、どれもキラキラ輝いてはいるけれども、
でもその分、ついつい横に並べて、
比べてしまう事もあり、
"自分らしく"
"誰かと比べず"
そんな優しい言葉の一つ一つでさえも、少々ピリリとした刺激として、知覚してしまう事がある。
それは、結局いつも不平不満ばかりで、足ることを知ろうとしない、卑屈な自分。
まるで、腐った幹のような
中身の無い自分の軸は、
少し過敏な位に、
捻れて、倒れて、ひっくり返り、
その度、その度、
また更に大きな歪みを加えて、
姿、形を偏らせていく。
勿論、心の中では、当たり前のように、前を見据えて、1から順に、要領よく重ねていく事を望んでいて、
そして、そうある為に、加えようとしている事も、そこにはちゃんとある。
だけど、数字が苦手?
いや、多分集中して数えられていないだけ。
あるいは、変幻自在?
いや、それも形を変えて誤魔化しているだけ。
そこには、不器用に器用を装い、こんなつもりじゃなかったなんて、覆い隠そうとしている、明らかなる自分の姿があるが、
でも、まるで庭一面に広がる落ち葉のように、
それらは決して、隠し切れる事なく、全てが四方一杯にと、隙間を埋めて散りばめられていくのだ。
さて、果たしてそれは、
どちらが上で、どちらが下か、
はたまた、どちらが右か左か、表か裏なのか。
隅から隅まで視線を移し、まるで大きく円を描くように、グルリと一周、後を追って確かめてはみるが、
正直、横を見たり、上や下を見たり、何が、何段目の、何周目のものとか、そういう事も、今はもう、どっちでも良い事なのかもしれない。
まるで、明日というごく当たり前の未来の事さえ、未だ曽て、どうなるのか誰もはっきりとは、分かる事が出来ていないように、
きっと、どこから何が、どこに向かって、どう収まっているのかなんて、
考えれば考える程に、
モヤモヤして見通すのは難しい事。
時には、その曖昧なる不透明さの中で、
"何も重なっていない"と感じてしまう、
悔しい、悔しい"今この瞬間"ばかりが、はっきりと写し出されてしまう事もあるけれども、
でも本来、四方に遍くものの中の、
その小さな、たった一つの要素は、
例え、どこから、どんな刺激として、届いてくるものであったとしても、
例え、それに対し、少し過敏な程に、反応してしまう事があったとしても、
決して、それが、それ以外の要素を巻き込みながら、全てを丸ごと塗り潰していってしまう、そんな大きな迷いの渦になるものではないし、
ましてや、慌てて、焦って、全てを手放してしまう程に、大きな不安となって、募っていくものばかりでもない。
もし、横に並べてしまうものや、
前を進むものの姿が、
どうしても、自分の中で気になってしまうのであれば、
そういう時は、上でも下でも、前でも横でも、あまりどこかを、よく見ようとかする事なく、
まるで、ただ虚な視線で、ボーっと遙か遠くの空を眺めるように、
そんな気持ちの一つを一つを
一旦、どこか適当な所へと解放してみよう。
同じ場所から、ふと見上げる上には、
今度は、また違う色が広がっている。
それは、時々黒く覆われたり、また渦巻くように荒れ狂う事もあり、
決して羨むような、キラキラしているものではないかもしれないけれど、
でも、その向こう側の景色へと、
思いを馳せて、
"もし、これがこのまま、ずっと続いていってくれるのだとしたら"
"もし、この果て無く広いものへと、自由に翔び立つ事が出来るのだとしたら"
そんな風に、穏やかな想像を働かせてみるだけでも、気持ちも少し安心する。
・・・。
ピリ・・。 ピリリ・・。
でも、それってつまらない事?
グラグラグラ・・。
こんな事が、維持されていくだけ?
自由?不自由?
義務?運命?
本当の幸せ・・?。
・・。
まだ少し、詰まりを感じているものがある。
まだ、深い所で何かが引っかかっている感じもするし、やっぱり、溜息混じりに、グルリと俯いてもしまう。
でも、そこにある、表に広がる鮮やかな思いも、また、表に出来ない、少し濁った裏側に隠しておきたい思いも、
皆んな、あれも、どれもが、自分にとって大切な"ありのまま"の一つ一つ。
そのどれもが、互いに影響し合い、
そのどれもが、無限に組み合わさりながら、
そのどれもが、どちらの側へも、等しく転換し合っていく可能性を持っているからこそ、
"だからこそ"
私達は、それを課題として向き合い、
また、そこから学び続けていく事で、
そのどちらもを、自由に見極め、選び、
そして、味わい尽くしていく為の、
かけがえない"智慧"の力を養っていく事が出来る。
それは、もはや、他の誰や、何かとも比べようがないものとして、
それは、簡単には崩れ無い、
自らの"軸"になるものとして、
それは、きっと!
いや・・、
多分かな?。
まだ、あまり自信は無いし、
まだ、よく分かってはいないけど、
でも、それでも大丈夫!
そんなグラグラ、ユラユラ、
あれも、どれも、これもが、
"だからこそ"
ちゃんと"確かな一歩"となって、
今ここに、積み重ねられているのだから。
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