馬車の旅①


この馬車は、決して前にしか進まない。

例え、後ろを振り向く事はできたしても、進行方向は前方一点のみ。

こっちやあっちの道に進んでいたら、どんなに楽だったのだろうと、そんな事を考えてみた所で、どうにもならないのが、またこの旅なのである。

因みに、車体を運ぶ馬は、大きな力と共に、とても繊細な心を併せ持つ。

一度接してみるとよく分かるが、何か不安定さがあると、乗る事はおろか、上手くひく事すら難しい。

無理に制御をしようとすれば、
手綱は簡単に切れてしまうし、

逆にもし手綱を手放すが事があるのなら、馬はその繊細な本能おもむくままに道を外し、恐らく目指すべき方向とは違う方向へと暴走をはじめていくだろう。

道中においては、馬車の劣化や、外的な衝撃、急な天候不順等あらゆる困難が想定される。

時には、そのまま振り落とされた方が楽ではないかと、自らの意志で手綱を離しそうになる程のアクシデントに見舞われる事もしばしばあるが、

しかし、そのまま振り落とされる事が望ましくないという事は、どういう訳か、私達は本能的に知っている。

ところで、
この旅は一体いつから始まったのか。

後ろを振り帰れば、遥か遠くの方から続き、前を見れば、遥か遠くの方へとまた続いくこの道が、

どこから続き、何処へ向かい、何を目的としているのかは未だによく分かっていない事も多い。

はるか何千年も昔から、旅を続けている感じはするが、はっきりとした記憶として存在するのは、30年程前からか。

記憶の始まりとなるような境目も、非常に曖昧であり、30年程前の事さえそうなのだから、ましてや何百年、何千年も昔となると、はっきりとは思い出せない。

ただ、同じ道から続いて今があることは、何故かこちらもはっきりと認識している。

決して記憶を根拠としたものではないが、途中動かなくなった馬車を代えながら、何度も繰り返し旅を続ける自分の存在を、確かな感覚として残しながら。

馬が止まると、
一瞬、目の前は真っ暗になり、

やがて、そのまま肉体としての全て感覚を手放しながら、スーッと空へ昇っていくような浮遊感へと導かれていく。

それは、まるで宇宙遊泳とでも言うのだろうか、どこか広大な無重力空間を漂うような、そんな不思議な感覚でもある。

その感覚の中では隔たりや区別、あるいは時間や空間といった概念はなく、悲しみや喜び、苦痛や快楽といった感情さえも重力を感じるものではない。

自分が全ての一部、あるいは全てが自分の一部となって、身体や感情、思考にいたる、全ての働きは止滅していくのだ。

YOGA INCLUSIVE

大地と共に、力強く。 見上げた空の如く、鮮やかに美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花" その実は、今ここに成る。 全ては認め、愛され、 そして受容されながら。

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