タイムマシン

今を満ちた幸福の中で過ごしているのなら、振り返る過去の出来事全てが、今の自分の糧になっているとプラスに解釈し、

今に不満を抱えて過ごしている時間が多いのなら、過去に起きた出来事全てが、今の自分にとっての足枷になっていると錯覚する。

過去の出来事そのものは変える事は出来ないけれど、過去を肯定するのも、否定するのも今の自分次第であるのなら、過去をどう捉えられるかという、そんな自然な心の動きもまた、今の自分を知る為の、一つの気付きとなる。

後ろは決して振り向かない、前方一点未来だけを見つめてなんて、かっこいい言葉は少し置いといて、目に写る外側の"今"の世界を一旦手放し、内側に蓄積された"過去"を振り返るタイムマシンに乗車する。

もし気分が優れなければ、瞼を開けて途中下車をしたって全く問題ないし、仮にそのまま乗車を続けても、心の揺れは大きければ大きい程、その全ては"今"の世界を生きる、自分の為のエネルギーとなって蓄積されていく。

また、「過去→現在→未来」の流れの中で、過去を振り返り戻っていく事を、まるで"後退しているのではないか"と不安に感じる事もあるかもしれない。

しかしこのタイムマシンは、決して行ったきりになる事はなく、必ずどこかを折り返しの地点としながら、行き先のベクトルを再び"現在" そして"未来"へと勝手に変えて進み出すので、こちらも特に心配の必要は無い。

もし不安に思う程、大きく深く後ろに進んだとしたならば、その進んだ距離は、次に前へ向かう為の十分な助走距離となり、その後折り返し未来へ進む推進力は、更に力強さを増していくであろう。

一通り乗車の注意を確認したならば、最後にゆっくり瞼を閉じていく。

ほんの少しの間を持ち、瞼を閉じたその感触を発車の合図とし、過去へと進むタイムマシンはいよいよ動き出す。 

一体果たして自分の心はどう動くのか。
そこで生まれるものは、プラスの解釈なのか、はたまたマイナスの錯覚なのか・・・。
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10年1昔と言葉があるように10年先なんて凄く遠い先の事のように感じていた10年前。

川の流れのような、そんな長い時の流れに、ただただ委ねてさえいれば、自然と正解へと流れ着いていると信じていた。

あの時の自分が、もう少し想像力豊かに今の自分を想像する事が出来ていたのなら・・。

鈍感であるように装い続け、先の事は分からないなんて言う、都合の良い解釈を繰り返し、今振り返れば、それがその時の自分の賢さでもありながら、また正しい想像を阻害する、愚かさの一つでもあったように思う。

本当は全てその時気づいていたのだ。
何億何千万年、宇宙の始まりから今に続くまでの時間の流れを考えれば、過去も今も、そして未来も、全ては瞬きするような、一つのほんの瞬間の中の出来事であるという事を。

あの日の自分も、今の自分も、そして未来の自分も、常に同じ"瞬間"という、一つの時の中に存在しているにしか過ぎず、何年経とうが変わらないものは、やはり変わる事はなく、10年先の未来への期待や不安なんていうのは、結局は今日の天気を心配する位の小さな事だったのだ。

今の自分が10年前の自分に声をかけれるならば、なんて声をかけたらよいのだろうか?

そして今の自分に声をかける10年後の自分は、ちゃんとそこにいるのだろうか?

これまでの気付きの蓄積が、心が鈍感を装う事を中々許してくれないのだが、今得ている気付きもまた、これまで以上の、違う大きな気付きを得る為の、一つのプロセスだと考えてみるならば、愚かであろうがなんであろうが、やはりどうなるかなんて分かる事ではないのかもしれない。

ぼんやりながら様々な思いが去来する。

再び開けようとする瞼は、相変わらず重たいかもしれないけれど、それでも前へ進む為の助走距離はたっぷりとれているので心配ないだろう。

まずはゆっくりと速度を落とし、最後は瞼を開ける"覚悟"という名の手土産片手に、瞼を開けて入る光の刺激が合図となって、過去へのタイムマシンは、大きく未来へ行き先を変えて走り出していく。

「瞼の奥のタイムマシン」
あなたは、どんな気付きをその旅で得る事が出来るでしょうか?

YOGA INCLUSIVE

大地に根を張り、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成る。 全ては認め、愛され、受容されながら。

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