ゴームックアサナ私的解釈〜万物から真似ぶ〜
ヨガのアーサナには、様々な生き物や植物、その他、自然界に存在するものを由来としているものが沢山あります。
例えば、今回挙げるゴームックアサナ(牛の顔のポーズ)。
このような、動物の名前のついたアーサナを行う時の、私の中の楽しみ方としては、
(他の生き物や植物のアーサナ全般行う時にも言えますが)
まずは、その動物が、どんな形をしていて、どんな風に動き、どんな所に住み、どんな物を食べ、どんな暮らしをしているのか等、大まかな生態を知る事(または想像する事から)スタートします。
そして、その知識を土台していきながら、その動物が何を感じ、何を思い、どう生きているのかに、より強く思いを馳せていき、更には、実際にアーサナを、身体の面から形として"真似て"いく際には、そこから生まれるイメージの深まりを架け橋とし、それら生き物達との、深い繋がりを実感していきます。
因みに、「真似る→学ぶ」という、これも有名な言葉の語源でありますが、実際、真似る事から始まり、それが、"気づき"や"閃き"として、学びへと発展していくと考えるのならば、物や生き物、植物等、この世の万物をまさに"真似る"ように作られているヨガのアーサナは、無限の学びが詰まった素晴らしき「学びの宝庫」であると言っても過言ではありません。
ここで、一旦ゴームックアサナ(牛の顔のポーズ)に話しの舵を戻し、実際に牛という動物を"真似て"いく事で、そこから、どんな学び(気づき)がありそうかを、私的な解釈もありますが、簡単に上げていきたいと思います。
まず、牛という動物は、宗教によっては、体の中に沢山の神様が宿るとされ、非常に神聖な動物として扱われていますが、(牛の鳴き声とAUMマントラの響きって似ていませんか?)
八支則(ヨガの学びの段階を表したもの)のニヤマの中にイーシュヴァラ・プラ二ダーナ(自在神祈念) という教えもあるように、牛に限らず、人でも、物でも、植物でも、あらゆる万物を、(神様のように)尊いものとして、敬いや感謝の気持ちを持つということは、私達の心に落ち着きと、安定の作用をもたらす事に加え、小さな事から幸福を感じる力(Santosha)を育んでいきます。
そして、牛は決して見返りを求める事なく、自らの命を削りながら、私達にミルクを与え、(この話は、私が養成コースでヨガを学んでいた時に、よく先生がお話ししてくれました。)仲間思いで、繊細で、とっても優しくて、慈悲を象徴するような、代表的な動物とも言われています。
もし、そんな牛の気持ちになりきり、牧場でのんびり過ごす、穏やかな牛の姿なんかも一緒にイメージしてアーサナを深めていけば、それだけでも、まるでその牛の"慈悲"に包まれているかのように、自分の気持ちは安らいでくるし、また、穏やかな落ち着きの中で、思いやりとは何だろう、優しさとは何だろう、慈悲とは何だろうと、自らの考えを深めていくきっかけにもなります。
因みに、ヨガで慈悲というと、それに直結するチャクラとして、胸元にあるアナハタチャクラがあるので、このように、その動物から連想される、何かのキーワードをきっかけにして、"チャクラ"と呼ばれるような、ヨガの精神世界への関心を深めていくのも、アーサーナの楽しみ方の一つといえるかもしれません。
また、このアーサナは、片手づつ、それぞれ上と下から背中に回したところで、上下に握手をするように繋ぎ合わせていくのが特徴にもなりますが、こういった一連の動作に、簡単なイメージを少し加える事で、そこから自分なりの、新たなヨガの世界観が広がっていく事もあります。
例えば、背中という見えざる世界の空間を、瞼を閉じた心の眼で捉え、
また、それぞれの手には、理想や現実、陰と陽、心と身体等、内に潜在する2極の力をイメージし、
更にはそれらを、互いに、握り繋ぎ合わせる事によって、より1つの大きな力へと調和、発展させていく、なんてイメージはどうでしょうか?(あくまでも一例です!)
潜在とか、見えざると言うと、これもまた少し怪しくなるのですが・・、
それらを意識する事は、実際"集中力"というような身近な力にも関わり、イメージや想像を深める事は"感性"や"感覚"といった右脳に関わる領域へ働きかけ、そしてそれらを論理的でなくとも言語化してみたり、こうやって文章で書き記したり等すれば、それは左脳に関わる領域へも働きかけてくれます。
他にも、アーサナの実践においては、段階的に練習を積み重ねる事により、その副産物として、身体機能の向上や改善という、素晴らしき恩恵を得る事も可能です。
今回のゴームックアサナで言えば、まずは肩周りの柔軟性向上、歪み改善、胸を開く形になるので猫背解消等による姿勢改善があげられ、また坐法としてとる、ダャーナ・ヴェーラサナと呼ばれる膝を縦に並べて足を組む座り方は、骨盤の歪みを調整し、腰痛改善等にも効果が期待されます。
ここまで上げたものは、極々ほんの一例にしか過ぎないものなのかもしれませんが、それでもその他諸々、このようにアーサナ一つから得られる智慧と恩恵の数々は、見方一つ、考え方一つ、組み合わせ次第で、無限に創出する事が可能なのです。
また、同時にそれは、私達に、あらゆる万物その他全てのものが、自分にとっての、かけがえのないグル(師)となる事を示し、
例えどこに居て、
どんな状況で、
どんな生活をしていても、
必ずどんなものからでも、学びや成長の機会は捻出できるんだという、自らの可能性を広げていく為の、より"開かれた思考"のようなものをもたらしてくれます。
自らのグル(師)として、自然界から私達に与えられる恩恵、そのメッセージ1つ1つに耳を傾けてみましょう。
その響きは、やがて内から自然と湧き起こる、万物への敬いや感謝といった"祈りの言葉"、即ち、自分なりの"マントラ(真言)"へと形を変え、よりパワフルなエネルギーを持ちながら、心の奥深くへと響き渡り、自らの意識をより高い次元への変容へと導いていくのです。
あなたが、今持っている、敬意や感謝や優しさの気持ちは、誰に向けたものですか?
その人が年上だから?先輩だから?上司だから?お客さんだから?家族だから?恋人だから?友人だから?
例え目の前にいるその人が、どんなに自分より立場や身分が低い人であったとしても、
例えその人が、どんなに自分にとって関係が無いと感じられる人であったとしても、
決してそれが支配をしたり、敬意や感謝を欠いても良いという理由などにはなりません。
自分にとってのグル(師)として、
同じ生きとし生ける、繋がりあった仲間として、
またいつ自分自身も、どんな困難に陥るか分からないという事に、想像力を働かせ、
どんなものや、どんな出来事からも、共に真似ぶ(学ぶ)という姿勢を持つ事も、アヒンサ(非暴力)やサントーシャ(知足)といった、ヨガ思想において重要な資質を高める、大切な心がけになるのではないでしょうか。
最後に、とても有名なポーズになるので、基本的な行い方などは、ネット等でもアーサナ名を調べれば沢山出てくるかと思います。
その辺りは今回ここでは割愛しますが、現代式verと、伝統式verの違いを述べると、背中にまわす手は、足を組んで上に来た方の足と同じ側の手が、同じく上から背中に廻るのが、伝統式verの特徴となります。
0コメント