平和の縮図&スカンダ チャクラ

今日はリシケシヨガシャラでのレッスン後、そのままスタジオに居残り、今行われている指導者養成コースの講義にそのまま参加をしてきた。

復習も兼ねてというと、凄く勉強熱心のように聞こえるのだが、本当は、レッスンが終わった後の手放したく無い"感謝"と"幸せ"の余韻に、もう少しだけゆっくり浸っていたかったのと、復習という言葉を、都合よく自分の強がりの言葉にして、ただそこに"居たかっただけ"というのが正直なところである。

途中で少し疲れて最後までは居られなかったのだか、最後までずっと居たいと、自然とそう思える安心感に満たされて、それを咎める人も、邪険に扱う人もいなければ、同じテーマの下で学びを共にする仲間達、そして全てを見守る師がそこにいて、あれやこれやと挙げればキリが無い程、私にとってはまさにその時間、その瞬間こそが"シャンティマントラ"の響きが根源として意味する"平和"であり"愛"そのものであると感じる事ができた。
(因みに今日は、授業の中で"シャンティマントラ"から"平和"の意味を考えるという内容があったのです!)

ヨガの勉強をしていると、それこそ"愛"とか"平和"とか壮大なるテーマが沢山ありすぎて、正直考える事に疲弊もする。疲れた脳に鞭を打ち、少し背伸びをした難しい切り口から、無理矢理答えを導き出そうとして、時にその壮大さに丸ごと飲み込まれてしまいそうな、自分自身のちっぽけさに焦燥感を感じる事もあれば、またそれがヨガを学ぶ事への不安へと発展していく事もある。

しかし、平和や愛を祈念する"シャンティ"3回の響きが、自分自身から派生して、身近なものへと広がり、この世の全てへと、その余韻を広げていくのと同じように、その逆をそのまま辿っていけば、壮大なる全体としての愛も平和も、全ては私達の身近な所に縮図として存在している事、そしてまた、私達自身がその全体の中の縮図であって、私達の存在そのものが、愛であり、そして平和を象徴する"壮大なる存在"であるという事に気がつく事が出来る。

はじめは、ただそこに居たいという、なんの目的もない状態でありながら、とりあえず復習という体裁でそこにいながらにして、しっかりと新しい気付きと学びも受け取れた、大変有意義な時間となった。
先生方や、16期の受講生の方達にも心から感謝の気持ちである。

さて!
自分の気付きのまとめが一区切りついた所で、ここからは雰囲気も変えて、レッスンを少し振り返りたいと思います!

今日は皆様肩凝りを気にされている方がとても多くいらっしゃいました。

私達の生活習慣には、肩凝りを誘発しやすいものが沢山溢れていて、特に生活必需品であるスマホやパソコン等の長時間使用は、姿勢の崩れや、眼精疲労、自力神経の乱れを引き起こし、それらは全て肩凝り症状の要因となります。 

特に仕事でPCを使われる方は、肩凝りがきついからデスクワークをしない!という訳にはいかないでしょうし、どうしても付き合いを続けていかなければならない事情がおありだと思います。

そこでお勧めしたいのが、パワンムクタアサナで行なったスカンダチャクラ(肩に指先を乗せて、肘で円を描くようにして行う、肩周りの気の解放を促すアーサナ)になります。

スカンダチャクラは、身体的な面で言うと、肩関節や肩甲骨の可動領域を網羅し、周辺筋肉のバランスを整え血流を改善するので、肩凝りの改善予防にも、大変効果的です。

行い方を簡単に振り返ると、
まず、肩に指先を乗せた所からスタートし、吐く息で肘を胸の前へと近づけ、肩甲骨は背骨から引き離すように外側に広げます。

吸う息で腕が耳の横を通っていくように、肘を後ろへと回し、(この時肩甲骨を背骨の方に引き寄せるように後ろに回しましょう)肘が自分の身体から1番遠くの方まで行ったら、 

吐く息で、両肘が身体の横を通りながら再び身体の前へと戻ってきます。

姿勢を正し、呼吸のリズムに合わせて繰り返し行い、きりの良い所で逆回転で同じように行います。肩甲骨や肩関節の動き、その周辺の筋肉の動きに意識を集中させて、小さな円を描く所から始め、少しずつ円の大きさを広げていくようなイメージで、肩周りの可動範囲を広げていきましょう。

スカンダチャクラはレッスンの時には必ず行うアーサナで、その効果と気持ち良さの実感から、私自身も時間を区切らずにずっと続けていたいと感じるアーサナです。

最後になりましたが、本日もレッスンにお越し下さり、ありがとうございました!
心から感謝を申し上げます。

Yoga Inclusive

決まった形も無い。囚われも無い。 泉のように湧きおこるその"慧"の力は、 無数の"言の葉"となりながら、 紡ぎ繋がり大きく広がっていく。 根を張り、大地と繋がり、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成っている。 全ては認め、愛され、受容されながら。

0コメント

  • 1000 / 1000