揺れ幅

結局は孤島で過ごす夜が一番居心地が良いのかもしれない。

心の中が、
0から100ではなく、
−500か、+200か位で揺れる感覚。

突然やってきては、
色々なものをなぎ倒していく、

今もまだ残る。

周りまで翻弄させて、迷惑かけては絶対に駄目だし、本当に救いが無いのは分かっているけど、でも、抑えきれないように色々な気持ちが湧いてきた。

以前の自分と変わらず同じように。

それは愚かで、とても醜いもの。
ふつふつと内側から感じているものはあったけど、ずっと気づかない振りを無意識にしていたのかもしれない。

潜在的に自分を麻痺させていたか、
それこそ幻想を抱いていたのだろうか。
ヨガという名前の力だけで、勝手にこの世の全ての波は収まり、無条件に全てはニュートラルに向かうのだと。

当たり前だけど、そんな事がこの世の中にあるわけがない。

違いも、揺れも、乱れも、迷いも、不均衡はあるのだ。それをまずこの世の前提として、認め受け入れなければならない。
ニュートラルであるという事、あるいはそれぞれがそれぞれの花を咲かすというのはそういう事なのだから。

頭の中では色々分かったようになったつもりでいたが、必死に言い聞かせていただけで、結局心の中では何も分かってなんかいなかったのだ。

手放したいと、無理に蓋をして、一生懸命誤魔化そうとしていただけで、まるっきり以前の自分と同じだ。

そしてこの気持ちに対して、
今はどうする事も出来ない。

悔しい。

まさに悔しいと感じる、この心の動きこそ、自分の愚かさの全てを象徴している。自分本位。何も成長をしていない自分の姿そのもの。

振りかえれば根本で全部繋がってくる。昔からの嫌な感覚の一つとして。
大きなエネルギーになる事もあるかもしれないけれど、最後はいつも苦しくなっていく。

自分に対しやっぱりそうかと残念に思うのか、改めて気づく事が出来たと肯定的に受け止めていくのか、馬車を放棄するにせよ、そうでないにしろ、手遅れでも、何であっても、やっぱり向き合わないと。

泣いてるだけじゃ花は咲かないし、
委ねているだけでは辿り着かない。
もっと根っこの部分から覆らないと。
全てをひっくり返す位に。
どこで何を学んで、何を与えられたとしても、肝心の受け取る自分自身がこれじゃ、ただ同じ事を繰り返してしまうだけだから。

とりあえず現実を見据えて、
まずはもう一度呼吸を整えて、
足元安定させて。

潔くこのまま泥水に沈むか、
それとも、もがいてあがいて沈むのか、
結局沈むしかないかもしれないけれど、
ポンコツでも、弱くても、愚かでも、醜くくても、都合が良くても、図々しくても、
泥水に沈んで埋もれながら、濁りと共に芽を出す蓮の花もあるかもしれない。

誰かと比べず、
そして誰かの為に、

明らかに見極めながらも、
少しずつ。
少しずつ。

それしか無いと思う。

(後記)
こんな独り言のようなことも、文章にして書いていると、内に向かう感覚と、外に向ける感覚の2極の中で、不思議と深呼吸を繰り返すように揺れ幅を落ち着かせていく。

もう最後にして閉鎖するつもりで書いていたけれど、このまま残しておいてもいいかもしれない。


Yoga Inclusive

決まった形も無い。囚われも無い。 泉のように湧きおこるその"慧"の力は、 無数の"言の葉"となりながら、 紡ぎ繋がり大きく広がっていく。 根を張り、大地と繋がり、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成っている。 全ては認め、愛され、受容されながら。

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