揺れ幅
結局は、孤島で過ごす夜が一番居心地が良いのかもしれない・・。
◇
心の中が、
0から100ではなく、
−500か、+200か位で揺れる感覚。
突然やってきては、
色々なものをなぎ倒していく。
本当に救いが無いのは分かっているけど、でも、抑えきれないように色々な気持ちが湧いてきた。
それは、以前の自分と変わらず同じように、とても愚かで、とても醜いもの。
ふつふつと内側から感じているものはあったけど、ずっと気づかない振りを無意識にしていたのかもしれない。
潜在的に自分を麻痺させていたか、
それこそ幻想を抱いていたのだろうか。
ヨガという名前の力だけで、勝手にこの世の全ての波は収まり、無条件に全てはニュートラルに向かうのだと。
当たり前だけど、そんな事がこの世の中にあるわけがない。
違いも、揺れも、乱れも、迷いも、不均衡はあるのだ。
それをまずこの世の前提として、認め受け入れていかないと。
ニュートラルであるという事、あるいはそれぞれがそれぞれの花を咲かすというのは、そういう事なのだから。
手放したいと、無理に蓋をして、一生懸命誤魔化そうとしていただけで、まるっきり以前の自分と同じ。
大きなエネルギーになる事もあるかもしれないけれど、最後はいつも苦しくなっていく。
頭の中では色々分かったようになったつもりでいたけど、必死に言い聞かせていただけで、結局心の中では何も分かってなんかいなかったのだ。
そしてこの気持ちに対して、
今はどうする事も出来ない。
悔しい。
まさに悔しいと感じる、この心の動きこそ、自分の愚かさの全てを象徴している。
自分本位。何も成長をしていない自分の姿そのもの。振りかえれば根本で全部繋がってくる。
自分に対し、やっぱりそうかと残念に思うのか、改めて気づく事が出来たと肯定的に受け止めていくのか、馬車を放棄するにせよ、そうでないにしろ、手遅れでも、何であっても、やっぱり向き合わないと。
泣いてるだけじゃ花は咲かないし、
委ねているだけでは辿り着かない。
もっと根っこの部分から覆らないと。
全てをひっくり返す位に。
どこで何を学んで、何を与えられたとしても、肝心の受け取る自分自身がこれじゃ、ただ同じ事を繰り返してしまうだけだから。
とりあえず現実を見据えて、
まずはもう一度呼吸を整えて、
足元安定させて。
潔くこのまま泥水に沈むか、それとも、もがいてあがいて沈むのか、
結局沈むしかないかもしれないけれど、
例えポンコツでも、弱くても、愚かでも、醜くくても、都合が良くても、図々しくても、
泥水に沈んで埋もれながら、濁りと共に芽を出す蓮の花もあるかもしれない。
誰かと比べず、
そして誰かの為に、
明らかに見極めながらも、
少しずつ。
少しずつ。
それしか無いと思う。
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