身体感覚〜統合へのレール〜


私の場合、心の部分はいつも、揺れて乱れて、そして迷いばかりなのですが、肉体面に関して言うならば、揺れや迷いは殆どなく、ある程度自分の中で確立とまでは行かないけれど、軸であったり、このまま進んで行けば良いんだなという道筋のようなものが見えているので、殆ど不安や焦りを感じる事がありません。今後、今自分の持っている感覚的な部分に、解剖学や生理学等の正しい根拠となる理論が上手くマッチングし、より客観的に自分の肉体を捉える技術が養われて、今現在の歪みの部分を少しずつ解消していく事が出来たのならば、それなりの所まで肉体は極められる感じがしています。

ただし私は、体操選手やバレリーナのように、身体を使う事のスペシャリストでもないし、そういったバックボーンもないので、本当に熟達して身体を操作出来る人と仮に比べたとしたら、現時点ではまだまだ低い次元にいることは間違いありません。

しかし、身体の部分に関しては、そういう何かと比べるような感覚も全くないし、純粋に自分基準で自分自身の事として向き合えている感じがします。

昔はとにかく身体的コンプレックスが強くて、それにかなり苦闘させられた苦い過去があるのですが、遠回りしながら一周してまた戻ってきて、今後どのような惑いがあるは分かりませんが、現時点においては、ようやく自分軸の様なものを持つ事が出来たと思っています。

現在、身体で痛みや不快感として感じている部分に関しても、その時のダメージによる部分もあるのですが、体組織に大きな取り返しのつかないような傷がなく、ただ歪みや、それによって引き起こされている筋肉の緊張であるならば、恐らくこれらも今後改善させていく事は出来るでしょう。年齢的にいうと、ここから身体能力は一般的に落ちてくるのかもしれませんが、今は全くそんな感じはしないし、正直良くなっていくイメージしかありません。もちろん、髪が抜けて、白髪がふえて、シワが増えてとか、細胞レベルでの老化は抗えない部分はあると思いますが、コントロール出来るものに関しては、しっかり手綱を取ってコントロールをしていけると感じています。現に養成コースに通っていた時に、私よりも年を重ねてきている先生方の身体の使いこなしや、その若々しさを見ていたら、年齢は全く言い訳になりません。

何年か後位に、身体能力に関してはより高い水準に届くと思います(あくまでも自分基準ですよ)。そこからは大きな怪我や病気が無ければ、緩やかに上昇するか、あるいは保っていく感じでガクッと崩れる事も恐らく無いと思うし、それも凄く苦しい事を続けながらという感じでもなく、犬や猫がウォーミングアップなんかしなくても、広場を颯爽と駆け回る事が出来るような、そういうナチュラルに良好な状態を常に維持していくイメージで、ごくありのまま、自分に備わったものとして保っていける感覚があります。アーサナで特に磨かれていく身体感覚も、こういう人間という一種の生き物としてのポテンシャルを最大限に引き出していく所にあると日頃から感じているし、実際アーサナ自体、野生の動物や植物を真似るように作られているものが非常に多くあります。

アーサナに関して言うと以前だったらパッと絵や写真を見て、こんなの出来る訳が無いと感じていたものも、今は時間はかかったとしても、少しずつ向上していきながら、十分に辿りつける感覚があります。浅い所でなく、己の状態をよく知り、自分の中で根拠を崩さずにその感覚さえイメージとしてしっかり持つ事が出来れば、以前に別の記事で書いた事もあるのですが、あとはひたすらイメージの繰り返しと、日常生活での身体意識を高めていけば、無理に練習しなくてもその内必ず出来るようになります(100m走を3秒で走るとか飛躍したイメージになると、それはどちらかというと、より高次な第6感やスピリチュアルティに働きかけるようなものになると思います)。私の実感としてもそうだし、イメージトレーニングという馴染みのある言葉も浸透しているように、それは科学でも立証されている事として、やはり人間のイメージする力は侮れないはずです。

正直まだ痛みや歪みのせいで、もどかしい部分はあるし、もっともっと動かせるイメージの中で動かせないという、そのギャップに葛藤する事もあるけれど、敵がはっきり見えている中で、そこにアプローチも出来ているし、少しずつどのように向かっていけばいいのかが、目の前にレールとして見えているので今は慌てる事もありません。

ただし、アーサナを指導するという事を考えれば、やはり私の場合は、自分の中で凄く感覚的に捉えてしまいがちな所もあるし、何でどうしてそれが出来るのかとか、どうしたらそれが出来るのかと言われたら、上手く言葉にしづらい所もあるので、これをしっかり理論と根拠に基づいて、丁寧に分かりやすく説明出来るようになるには、もっともっと学びは必要だなと感じています。

自分が一人で追求していく分には、感覚重視に偏っても、自分が楽しければそれで良いかもしれませんが、やはり人に伝えるのには、それでは不十分、不親切であるし、何よりも怪我のリスクをまず第一に考える必要もあります。そして、私自身が先生方に解放学的指導を受けて、そこから技術の向上を感じ取る事が出来たので、純粋にそれを智慧として伝達し、多くの人とシェアをする事が出来たらとても嬉しく思います。

私は、心の部分は一度踏み込むと迷宮から抜けられなくなって、どんどん渦が大きくなったり、沈んでいくばかりなので、一旦そこの部分は置いといて、アーサナを純粋に技術の探求とし、ひたすら集中しながら、そこに打ち込むような時間を取る事も必要なのかもしれません。八支則の流れを念頭に入れれば、ヨガ実践者として、呼吸や心の動きの前に、まずは高いレベルでアーサナを実践出来るというのは、やはり必要な事であるし、そこに到達して、初めて自らの心の揺れにも正面から向き合えていけるのかなと思います。まずは身体感覚の統合が図れなければ、心身一如、更にその先の梵我一如は目指す上での準備不足は否めません。

因みに元々純粋な身体的な追い込みには、割とタフというか、そんなに嫌いではない気質なので、指導力が付いてきた先に、そういのがお好みの人で集まって、ひたすらストイックに肉体を追い込んで研ぎ澄ませていく事を、修行のように行なってみるのも楽しそうだなと思います。分かりやすく数だけに拘るなら、別にイベントでなくても、毎月でも毎週でも108回太陽礼拝やっても私個人としては平気だし、体力に自信が無い方でも、現代的に3つの原理(過負荷の原理、特異性の原理、可逆性の原理)と5つの原則(反復性の原則、個別性の原則、漸進性の原則、全面性の原則、意識性の原則)に沿ってマラソンの練習のように、少しずつ強度や回数をあげながら練習を重ねていけば、ただ数をこなすだけなら皆行えるようになると思います。最初は数回なんとかやれていたものが、段々とこなせる数が増えていくというのは、目に見える自分の成長として自信になりますよね。

ヨガの思想も哲学も精神性も一旦は横に置き、これだけやって、これだけ出来るようになるという、分かりやすい数字上の達成目標を作って、心の揺れを打ち消すように、たまには気合いと根性でひたすらそこに向かってアーサナに打ち込むのも、青春時代の部活動のようでいいのではないでしょうか。

もしかしたら、その没頭していく感覚こそに、アーサナの "動く瞑想" と呼ばれる所以の答えを見つけられるかもしれません。



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決まった形も無い。囚われも無い。 泉のように湧きおこるその"慧"の力は、 無数の"言の葉"となりながら、 紡ぎ繋がり大きく広がっていく。 根を張り、大地と繋がり、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成っている。 全ては認め、愛され、受容されながら。

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