YOGA INCLUSIVEの由来について〜ヨガソーシャルワーカーのように〜

私のヨガに関わる学びや活動を総称するものとして、このHPのタイトルでもある、"YOGA INCLUSIVE"という言葉を使っています。

どんな願いを込めて何故この単語にしたかというのは、HPにも載せていたりもするのですが、そもそもこのINCLUSIVEという言葉は、ヨガ云々の前に、福祉や教育の世界で使われている"INCLUSIVE(又はINCLUSION)"の概念が元になっており、そこからの繋がりで持ってきた言葉でもあります。

福祉や教育関係の方はもちろん、そうでない方も、もしかしたらどこかで、「Social inclusion」とか「Inclusive教育」なんて言葉を聞いた事がある方もいらっしゃるかもしれません。

簡単にその2つの概念について書きますと、

まず「Social inclusion」とは・・
"全ての人々を排除する事なく、孤独や孤立から守りながら、同じ社会を生きる仲間として包み支え合っていく事"

そして「Inclusive教育」とは・・
"すべての子ども達が、障がい等の有無に関わらず、個々の教育的ニーズに応じた配慮を受けながら、共に学んでいく事が出来る"

というのが大まかな概念となり、この概念が先にあった上で、そこに私の中のヨガのイメージ(密教的世界観)や、ヨガを通して目指したいもの、または目指せる可能性があるものが上手くマッチした時にこの"YOGA INCLUSIVE"というタイトルが生まれました。

更にそもそもを遡り、何故私の中に、福祉や教育で使われる「INCLUSIVE」の概念が頭にあったかというと、私自身がヨガの前に、教育と福祉の2つを学んだできたというのが第一にあります。

自分の事を、ほんの少しだけ書くと、私は、大学では幼児教育を専門に学んでいました。卒業した後も保育士として仕事をしていた事があるのですが、そこは保育園とは違い、24時間そこで子ども達が暮らす入所の施設だったので、一人一人の子ども達が施設で暮らしている背景にも、多様な社会問題が縮図のように詰まった形で、複雑な事情が沢山ありました。

将来的に子ども達への直接処遇にとどまらず、よりトータル的に幅を広げて支援していくには、大学で学んだものだけでは、やはり不十分だと感じていましたし、保育士の資格も福祉資格ですので、福祉についても全く勉強していなかった訳ではないのですが、一度改めてそこに特化をした上で、しっかり学びたいと考えていました。そこで、仕事をしながら専門学校の通信課程に入って勉強を始めて、その時に学びを修めた一つの形として、社会福祉士という資格を取得したという経緯があります(ソーシャルワーカーとしてお仕事されている方が多い資格です)。

紆余曲折あり、今の自分は、福祉の分野でも、教育の分野でも、仕事をしているわけではないので、ここであまり福祉とは何か、教育とは何かと詳しく論ずる事は出来ないのですが、せっかく志を持って、その時の自分が一生懸命学んだものになるので、どこかで、これら過去の学びに繋がる形で、新しいヨガという学びもそこに加えていきたいという気持ちが内側にはあります。

またヨガの実践には、結果や見返りに執着せず、真理に沿った正しい行いを重ねていく事を、福祉や奉仕を一つの形に、"カルマヨガ"と教えを説いた実践もあれば、私がヨガを学んだ町田市にある"リシケシ ヨガシャラ"というスタジオも、インドのアシュラム(ヨガを学ぶ福祉施設)をコンセプトにしており、母体としてヒールジアースというNPO法人が運営しています。(法人が公式で運営しているものにはyoga societyというサークル団体もあるので、ご興味がある方は一度サイトを訪れてみて下さい。)

また、これは私が個人的に思う事として、ヨガの教えは子ども達にとっても、純粋に教材としての価値が凄くあるなと感じています。子ども達に馴染みのある生き物のアーサナ等から入って、遊び感覚を残した中で、ヨガの思想や哲学からの生きる上での大切な智慧等を、分かりやすく楽しく伝えていく事が工夫次第では可能だと思います。

私はよく、名前とか数字とかに何か意味を持たせたがるタイプの人間なので、何かのネーミング等を考える時も、安易にすんなりいつも決められなくて、考え込んでしまう事も多いのですが、これら要素を考えてみただけでも、まさにヨガそのものが、実はそのまま福祉であり、そして教育であったりもして、自分の中でも何の違和感を感じる事なくヨガ×教育×福祉を結びつける事が出来、上手く3つのバランスが取れた中で、すんなりとINCLUSIVEという単語をYOGAの隣に収める事が出来ました。

インターネットでキーワード検索をしても、他にこの名称で活動しているヨガティーチャーや、スタジオもありませんでしたし、個人的には独自性もあって凄く気に入っている名前でもあり、今後、どういう形でヨガを続けていくかは分かりませんが、この"INCLUSIVE"の精神や、社会貢献へ向かっていくベクトルは変わるものではありません。

また、ヨガと教育と福祉を3つ結びつけて考えたもう一つの理由は、もちろん世の為人の為という、それなりな立派な名目もありますが、それよりかは、ヨガという学びに出会えた事で、過去の自分から、今の自分までの時間が上手く繋ぎ合わさって、これまで自分が過ごしできた過去の時間への否定的な感情に対し、少し寛容になる事が出来るのではないかという、自分の為という目的もあります。

よく皆さん"過去は変えられない!後ろを振り向かない!未来を見据えて!今出来る事に集中して!"と言いますが、私は過去は変えられると思っています。

今の自分に集中するしかない事は事実であるけれど、今の自分が過去をどう捉えられるかで、過去の嫌な思い出や、辛い事も、それはいかようにも変わっていくし、例えば、よくスポーツ選手が怪我をして復活したあとのインタビューで、"あの怪我があったから更に成長出来た"と言いますが、怪我をしても復活すれば、怪我をしたというマイナスな過去の出来事も、プラスの過去の出来事に転換されます。

だから私は、未来の為にというのも勿論ありますが、"過去の〜があったから今の良好な自分がある"というような、過去をプラスに捉えられるストーリーになるように、過去の自分の為にも"今を生きる"という感覚も常に持ち合わせています。

時間の流れは、過去→現在→未来の流れなわけですから、過去の捉え方が変われば、矢印の流れに沿って自ずと、未来まで繋がるというのが私の認識です。ただしあるべきポイントは常に中心である現在でなければなりません。未来も過去も同じように見据えながら、そこに揺れるのではなく、あくまでも、軸は今ここに置きます(これが一番大切です!)

ヨガがクビキとなり、今の自分と、過去の自分の何かが一つでも繋がれば、更にそこからもっともっと遡っていき、バラバラと断片的で虚ろになっている自分の中の色々なものが、数珠繋ぎのように繋がってくるのではないかと淡い期待をしております。

今はまだ、正直そんなたいそうな理念を掲げられる程、人としての成熟はまだないし、欲やエゴや見栄など、あらゆる煩悩に心はいつも揺れて、実際名前負けしているような所もあって、私がYOGAで目指す、INCLUSIVEには何も向かう事は出来ていない状況なのですが、それでも最後までロウソクの灯火だけは消さずに残しておきます。

もしこのHPを見た方で、例えばヨガをしたいけどスタジオには行きづらい、若しくは何らかの事情で行けないという方、それ以外にもまずヨガに興味のあるという方がいましたら、相談としてでも、簡単な問い合わせでも結構ですので、私のメールアドレス(yogainclusive20@gmail.com)にご連絡下さって結構です。

ヨガを通し私に出来る事があれば、お力になっていきたいと考えていますし、例え私に出来なかったとしても、まるで"ヨガソーシャルワーカー"のようになって、リシケシヨガシャラ含め何かコミュニティの中でお役に立つ資源を、皆様にご紹介出来るかもしれません。



Yoga Inclusive

決まった形も無い。囚われも無い。 泉のように湧きおこるその"慧"の力は、 無数の"言の葉"となりながら、 紡ぎ繋がり大きく広がっていく。 根を張り、大地と繋がり、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成っている。 全ては認め、愛され、受容されながら。

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