自由

もし、あなたが今いるその場所で、

誰かと比べた方が、上手く循環しそうな事さえ、そういうものだと都合よく解釈し、

原理に反するような、抗わなければならない事さえ無理して受け止めて、

必要最低限、そこにあってもいい欲まで欲張りだとして抑えこみながら、

目の前に広がるその光景に対し、自分がそれを望み、求め、自由の中で決断した事なのだと、胸を張って言い切る事が出来るのなら、

あなたは、
思う存分そのままずっとそこで俯き、
思う存分そこで、泣いていてもいいだろう。

無理して顔をあげる必要や
無理して笑顔を作る必要もないし、

涙を流し続けて、そのまま干からびるように蒸発しようが、俯向くあなたが大地に沈んでいくかのように消滅しても、

それら皆、あなた自身の問題にしか過ぎないのだから、正直、誰が困る訳でも、誰が迷惑するわけでも、そこで誰に恨まれ、誰に妬まれる事もないはずだ。

それは、ある意味では安心で、
それは、ある意味ではあなたにとって充実なのかもしれないけれど、

しかし、それと同時に、
恐らくそこでは、誰かに喜んでもらう事もなければ、誰かの役に立つ事もなく、誰かに悲しんでもらうという事もない。

本当は、寂しい気持ちを感じているのではありませんか?

本当は、心残りとして、何か悔やまれる事があるのでは無いですか?

あなたが繋がろうとしているもの、
あなたが果たそうとしている役割、

あなたはそれが、本当に"今ここ"にあるものだと、考える事が出来ていますか?

実際には、そんなに寂しい事はないかもしれないし、あなたを心配、必要とする人も沢山いたり、あなたがいるからこそ、今この瞬間成立しているものが溢れていたりもするのだが、

俯く事や、顔をあげる事、
喜ぶ事や、悲しむ事、
笑う事、泣く事、怒る事、

それら、どちらが善で、どちらが悪とか、自由な思考のもとに、そんな事ばかりを考え、下を向いて俯く事を、これもまた自由の一つとして選びとり続けていくのなら、

あなたはいつまで経っても、本来そこで自由がもたらすはずの、本当の姿を捉える事は出来ないのである。

進む事も、停滞する事も、退く事も、確かにそのどれもがあなたにとって、自由な事であるには間違いないし、あなたがそれで納得した理由を作ろうと、わざわざ狭く圧迫された、不自由な自分を選びとっていく事も、これもまた、あなたの自由なのかもしれないけれど、それでも自由とはまた、決して誰にとっても"偏り"に向かっていく為に、存在をしている訳ではない。

もっともっと、そこに生まれているものも、滅したものも、あるいはこれから生まれるかもしれない、潜在された、思い、意識、それらありのままの全てを含め、物事を包括的に広げた意識で、自由自在に観ていこうとする事の方が、そこに"純粋なる歓喜"へ繋がる(yuj)、本来的な自由の意味する由縁なるものはあると思うし、

もしかしたら、常に余裕の無いこの現代のフィールドにおいて、思うがままに自由の羽を広げる事は、決して容易い事ではないのかもしれないけれど、それでもそれが、あなたが顔をあげてはいけないとか、楽しく笑ってはいけないとか、喜んではいけないとか、本来の意味での自由をためらったり、偏ったり、抑圧したり等、自分自身を束縛しても良いという理由にも決してならない。

もし、あなたが自分の今いる場所を、暗くて狭い井戸の中だと錯覚しているのだとしたら、それなら、それでも良いだろう。

視線なんて遥か彼方、自由に彷徨いながら、どこに置こうが、暗い井戸の中で、結局何かが見える事もなければ、足下だっていつもグチャグチャ、大地に根を張ろうと意気込む必要もない。

時に、泥にまみれ、埃にまみれた自分の事を、沈んだ塵や埃のような、駄目な人間なんだと罪悪感に苛まれてしまう事もあるし、

時に、寂しくなって、一人大きな声で叫んでみたら、何でこんな事をと少し恥ずかしい気持ちや、やっぱり自分なんかと、恐縮した気持ちが湧いてくる事もあるかもしれない。

それでも、あなたが思う存分、"本当の自由"として、笑えるなら笑い、泣けるなら泣き、単純な事を、そのまま単純に捉える位の感覚で、もっと、自然に、シンプルに、俯いたり、泣いたり、笑ったり、楽しんだりを謳歌する事が出来たのならば、

例えあなたが泥でも、塵でも、埃でも、
例え弱気でも、陰気でも、ネガティヴでも、

そこであるがままに舞い上がり、舞って、舞って、舞い切った先に、塵や埃も積もって不動なる山のようなあなたの"象徴"が、きっと威風堂々そこにそびえ立つ。

どこで何が何の響きとなって、誰に届くかなんて分かる事では無いし、これはきっとタパスなんだと、あえて無理な解釈で受け入れ続け、疲れた身体と、乱れた心で、磨かれるべき、かけがえない大切なものをそのまま雲らせておくのなら、

多少他人と比べて
抗って、
少しばかり欲張る事があったとしても、

それもまた、あなたの"自由"な意志と選択に基づく決断の一つとして、何も心配なく、尊重される。

あなたの自由は、
あなたの重荷になったり、
あなたに苦しみを与える為のものではない。

あなただからこそ、 
その自由を本来的に全うする事が出来、

あなただからこそ、
それを表裏一体、善も悪も、良いも悪いも、喜も憂も全面的に味わい尽くし、

慈悲なる心が備わる、あなただからこそ、
それを人の為にと、役立たせていく事が出来るのだ。


Yoga Inclusive

決まった形も無い。囚われも無い。 泉のように湧きおこるその"慧"の力は、 無数の"言の葉"となりながら、 紡ぎ繋がり大きく広がっていく。 根を張り、大地と繋がり、力強く。 見上げた空の如く鮮やかで、美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花"。 その実は、今ここに成っている。 全ては認め、愛され、受容されながら。

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