眼差し
あなだか瞳の奥に隠し
瞳の奥に眠らし、
瞳の先で訴えかけようとしているもの。
それが何なのか、
それが何処にあるのか、
それでどうしていきたいのか。
通りすがりの私には、それが何か、まだはっきりと分からない事も多いのだけれども、
まるで、狭くて暗い箱の隅のような所で、今にも泣き出しそうな、あなたのその瞳を見ていると、
振り返りたくない事や、
思い出したくない事等、
あなたにとって、
あまり本意ではないと感じられてきた事が、
まるで溢れる涙のように、
その瞳の中に、沢山存在してきたのだろうという事が、何となく想像させられる。
時には、人に呆れ、うんざりされる程に、自分の視線が、不意に誰かを嫌な気持ちにさせてしまったり、
また、相手の自分を見る眼差しが、何か心を突き刺さす痛みのように感じ、必要以上に相手の眼線を気にしすぎてしまったり、
そして、そんな自分に対し、どこか申し訳ない気持ちが一杯となり、
それが涙として溢れ、抑えきれずに止まらなくなってしまう事があったり・・。
それらは、誰にでもよくある、
ごくごく自然な事でもあり、
気持ちが塞いでくれば、まるで小さい箱の中身のような、誰もいない暗くて狭い場所に、居心地の良さを感じる事も当然ある。
だけど、まるでそれらを、必要以上に、自分のトラウマのように刻み込み、
せっかく開いた自身の瞼を、
わざわざ閉じる事をしてまで、
"もう何も見たくはない"と、
記憶も、新しい景色もない、
暗黙の世界に居続けようとする事が、
果たして、それがあなたにとって、本当に自然な事と言えるのだろうか。
本当はもっともっと、その眼で見たいと思う事があるのではないですか?
本当はもっともっと、その眼で見てきた事として、伝えたい事もあるのではないですか?
因みにこれは、あなたが意図したものでもなく、また実は気がついていない事なのかもしれないが、
多種多様この世の生き物、植物達が、まるで自らに備わる、唯一無二の生命のリズムを、
"生きる"という、
その最も純粋な営みへと凝縮させて、縦横無尽に躍動せているように、
あなたが、その眼で見続けてきたであろう、人間の喜びや、楽しさ、嬉しさ、優しさ、
あるいは、楽しいや、嬉しいばかりでない、幾つもの、悲しみに、怒りに、寂しさに、矛盾や、不合理、不条理、怠けも、愚かも、誠実も、不誠実も、
それら、ありとあらゆる正しい事から、ありとあらゆる正しくない事までの、その全ての要素は、
今この瞬間、
あなたの瞳の姿、在り方へと凝縮されて、
それが、まるで余韻として滲み出るかのように、どこか遠くを見つめる眼差として、顕されている。
それは、決して具体的で、
はっきりしたものではないけれど、
でも、音や文字や、
言葉や色や形で表現される事よりも、
より真っ直ぐ、
素直で深甚なる、あなたの心模様を象徴し、
より魅惑的に、
それを見つめる者の心を、引き込んでいく。
あなたに惹きつけられる者の多くが、どこかあなたと同じような、物寂しさを抱えている事が多いのも、
きっと、あなたがその瞳の中に、自分の人生だけでない、多くの人の辛さや悲しみを、
決して、漏らす事なく受け取め続け、
それがあなたの憐みや、慈しみ、即ち慈悲なる心としての、受容的な要素へと転換されているからなのだろう。
その珠玉の如く輝く、
あなたの唯一無二の瞳の輝きは、
決して、誰かを真似して出来るものでもなければ、
また、あなた以外の誰かが、見よう見真似で、簡単に真似をする事なんか出来ないもの。
あなただから、見る事が出来たもの。
あなただから、見通していく事が出来るもの。
そこから生まれる、
その瞳に宿る思いの波動の数々は、
だからこそ響き、
だからこそ届き、
だからこそ躍動するものとして、
小さな箱の向こうの、
通りすがりの人間なんか優に超え、
遙かなる無限の範囲へと、
力強く響き渡っていくのである。
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