肥やし

進んでいく者と、そこに縛られ続ける者。

まるで、左に見える明るいものが、抱えた弱さに溺れる、卑屈な自分の姿を明らかにし、

また、右に見える暗いものが、自分が自分として、そこに在る為に必要な、信じる力に陰りを与えていくかのように、

私達は時に、そのどちらを見ても、
どちらも見ようとはしなくても、

そこにあるもの全てを、自分にとっての驚異として、不都合な解釈をしてしまう事がある。

本当にこのままでいいのだと、心の奥底から身体の末端まで、隅々に思う事は出来ていますか?

本当はもっと、胸を張って自分らしく、そこに在りたいと思っているのではないですか?

もしあなたが今、
繰り返される自問自答の中で、

土台となる肥やしを築く事や、柱となる根を伸ばす事、それら生長に必要な"地力(自力)"を蓄える事を疎かにしてまで、

周りの動きが気になり、
他と比べる事をやめられず、

いつまで経っても、掘った穴をまた埋め直すように、ただ無意味な作業に、執われ続けていくのであれば、

例え今、平等に誰もが受け取る事の出来る、豊かな"恵"がそこにあったとしても、

そして、その恵から唯一無二の、あなたという素敵な"芽"を出す可能性があったとしても、

まるで土の中に取り残された、
一粒の種のように、  

あなたは、それに気付く事なく、
そして誰に気づかれる事もなく

遂には、まだ希望として残されているかもしれない、その可能性までもを、自らの意志と選択で、手放していってしまう事になる。

因みに私達が住む、このフィールドでは、
極めて広大であるが故に、

自らの意志でどの道を選び、どう進んでいくのかを判断し、そして自ら決断をしていかなければならない難しさが、常に自由に矛盾した不自由のように付き纏ってくる。

時には、まだ選択肢が残されているのか無いのか、それすら分からなくなる事もあれば、

あるいは、自分は既に選択するべき時を誤り、後戻り出来ないような状況にまで陥っているのではないのかと、怖い気持ちに襲われる事もあり、

それは、まるで刈っても刈っても、しつこく生える雑草のように、

整えて整えても簡単に覆される、厄介なパターン化された癖のようなものでもあるので、

例えば、向きを変えたり、
回数を調整したり、

身体の動きを操るように、
自由に制御する事も難しい。

自分の望む人生とは何なのか。
今掴めるもの、掴みたいものとは何なのか。

夢?目標?
自分次第?

"自由"の言葉は、いつどこを向いても、
どこに行ったとしても溢れている。

迷う位に。
溺れる位に。

少し疲れる位に・・。

だけど、その始まりと終わりは、
いつも同じ場所のはず。

どこから始まり、
どこへと終わっていくのか。

何の為に始まり、
何の為に終わるのか。

その原点は変わるものではないし、

何が出来る、
出来ない、

何がある、
ない、

そんな一時の"何か"にも、
左右されるものでもない。

今一度、足元をよく確かめてみよう。

そこにあるのは、
疑い?迷い?

いや、もっともっと真っ直ぐしたもの。
確固たるもの。

あえて自由の名のもと、
さらけ出さなくていいし、

あえて不自由に、
抑えつけようとしなくてもいいので、

もう少しシンプルに、
そして、もう少し胸を張り、

もう少しだけそこに、

立ち続けてほしい。

周りを気にしなくても、大丈夫。
自分を装わなくても、大丈夫。

種は生きているから。
力を蓄えて。

根は張っているから。
深く、広く、強く。

そして芽は、
伸びていくのだから。

そこに巡る思いの一つ一つを、
"肥やし"としていきながら。


LIFE INCLUSIVE

大地と共に、力強く。 見上げた空の如く、鮮やかに美しく。 たった一つの我なる"泉樹の花" その実は、今ここに成る。 全ては認め、愛され、 そして受容されながら。

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